日露戦争後日本経済は沈滞が続いた。大正三年(一九一四)第一次大戦が勃発した時は、一時恐慌状態に陥ったが、大正四年の後半ころから輸出の増大と海運の活況によって戦争景気が出現した。米価の暴騰に憤慨した富山県下の漁村の女房たちが、米の輸出禁止を叫んで立ったことが発端となり、全国を巻きこんだ米騒動は寺内軍閥内閣を倒し、原敬の日本最初の政党内閣を出現させた。またその後の労働者および農民運動の導火線的役割を果した。
大正七年、戦争が終わるとともに反動不況に見舞われた。戦後恐慌は生糸価格の暴落によって養蚕業に壊滅的打撃を与え、米価の暴落と朝鮮・台湾米の圧迫は耕作農民に大きな影響を与えた。大正九年以降も経済は沈滞状況が続き、昭和二年(一九二七)には金融恐慌が起こった。
このような経過と第一次大戦における連合国の勝利およびロシア革命・ドイツの革命が影響して、大正デモクラシー運動は活発になり、また労働運動と小作争議が増加した。