臨時教育会議の答申と実施

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明治末から大正年間の右のような情勢を背景にして、大正二年に設置された文部大臣の諮問機関教育調査会では、皇道主義による国民精神統一案と立憲思想養成案とが対立していた。寺内内閣の岡田良平文相はこの調査会を廃止し、内閣直属の臨時教育会議を設置した。この会議では、眼前に展開している体制的危機を乗り切るため従来の教育体制の再編成をめざして、二つの建議「兵式体操振興ニ関スル建議」と「教育ノ効果ヲ完カラシムヘキ一般施設ニ関スル建議」を提出し九つの諮問事項に答申した。
 そのうちの一つである小学校教育については、中等学校への進学希望者が急激に増加し、小学校では入学準備教育がおこなわれているが、その弊害をいかにして改めるかの問題であった。しかし答申は国民道徳教育の徹底、児童身体の健全な発達、記憶を重視するのではなく理解と応用を主とすること、国史の教科を重視することの必要をその内容とした。また市町村立小学校教員俸給はその二分一を国庫負担とすることを勧告した。
 大正七年国語の教科書は従来のものの改訂版尋常小学読本と、「ハナ、ハト」の尋常小学国語読本の二種となり、歴史教科書は「尋常小学国史」上・下巻が用いられた。また同年「市町村義務教育費国庫負担法」により教員給与の一部国庫負担を制度化した。
 大正期には中学校への進学希望者が増加してきたが、市域には中学校がなかったので、西谷村からは、三田の三田中学あるいは郡立有馬農林学校・三田技芸女学校へ、小浜・長尾・良元各村からは、明治三十五年(一九〇二)に開校した県立伊丹中学校へ通わなければならなかった。
 大正十五年には市域に始めて私立の学校が建った。通称〝住吉の聖心〟とよばれていた武庫郡住吉村の住吉聖心女子学院が、十四年に良元村小林字ハゼリの土地を購入し、十五年に校舎および修院を新築して十二月二十二日に移転し、小林聖心女子学院と改称した。同学院はフランス系女子修道会経営の尋常小学校・高等女学校・英語専修学校であり、これらの生徒総数は約八〇名であった。昭和二年には第一回小学校の卒業式を挙行した。

写真75 小林聖心女子学院 大正15年ごろ
(小林聖心女子学院提供)