日露戦争以後、社会主義思想や労働組合運動・農民運動が活発となってきたので、内務・文部両省は大正四年(一九一五)の第一次共同訓令により、青年団の性格を修養団体とし、思想善導につとめた。団員は二〇歳までの青年で、町村単位で設置され、小学校長や町村長が指導した。翌五年中央機関として青年団中央部を設け、同七年の第二次共同訓令により青年の思想統制と、実業補習教育および体力増進がはかられることになった。大正九年には実業学校令を改正し、実業補習学校の普及をはかった。同十年には従来の通俗教育の語を廃し、社会教育の語が用いられ、公民教育としての社会教育行政がすすめられることになった。また大正十五年には青年訓練所令が公布され、勤労青少年の軍事訓練が始まった。