全線中の最難関工区間は生瀬―三田間であった。裏六甲山塊の深い峡谷に沿い、隧道と鉄橋とが連絡し、その最急勾配は一〇〇〇分の一四・三に達した。また同区間中の武庫第二橋梁は径間二五〇フィート(七六メートル)で架設されたものである。
なかでも生瀬―道場間の武庫川沿いの工事は難工事であって、いまも玉瀬の山奥の墓地には、この工事中になくなった工夫の人たちやその家族の墓がたてられ、無縁仏としてまつられている。玉瀬の区有文書に残されている「埋葬認許証」のうち、阪鶴鉄道工事中になくなった人々は表44に示したとおりである。その本籍地をみると、京都・奈良の近府県はもとより、遠く広島・岡山・静岡・新潟から働きに来ていたことがわかる。このような無名の尊い犠牲のうえに、阪鶴鉄道工事は着々として福知山をめざして続けられたのであった。
表44 阪鶴鉄道工事関係死亡者
年月日 | 死亡場所 | 死 亡 者(年齢) | 原 籍 |
---|---|---|---|
明治30.8.19 | 切畑村長尾山阪鶴鉄道第7工区 | 岡本茂三郎 (33) | 兵庫県出石郡養田村 |
11.16 | 〃 | 岸本已之助 (17) | 大阪市南区天王寺町 |
12.31 | 玉瀬村草山阪鶴鉄道9号隧道 | 西村勝次郎 (35) | 京都府南桑田郡比定田村 |
明治31.1.25 | 切畑村長尾山阪鶴鉄道第7工区 | 村清 今七 (21) | 静岡県豊田郡佐久間村 |
4.4 | 玉瀬村草山阪鶴鉄道9号隧道 | 財場徳次郎 (43) | 奈良県吉野郡峰檜村 |
6.3 | 玉瀬村阪鶴鉄道第8号隧道 | 有野安房妻死産男 | 京都府相楽郡高山村 |
7.19 | 切畑村阪鶴鉄道6号隧道 | 佐々木庄松子供(4) | 広島県神石郡新阪村 |
8.4 | 玉瀬村草谷阪鶴鉄道9号隧道 | 下村初二郎 (29) | |
8.18 | 〃 | 矢吹マサエ(9ヵ月) | 岡山県哲多郡幸次郎村 |
8.29 | 切畑村阪鶴鉄道第7号隧道 | 畠山 いま (26) | 奈良県吉野郡宗日村 |
9.8 | 玉瀬村草谷阪鶴鉄道9号工場 | 佐伯 新次 (3) | 香川県小豆郡巴土山村 |
9.16 | 切畑村阪鶴鉄道第6号 | 藤野 梅吉 (21) | 大阪府南河内郡大原中村 |
9.24 | 〃 | 池田庄之助 (2) | 岡山県西条郡郷村 |
9.28 | 玉瀬村阪鶴鉄道煉瓦積 | 山本 ひて (48) | 兵庫県氷上郡三輪村 |
10.2 | 切畑村阪鶴鉄道工場第6号 | 望月 利雄 (?) | 岡山県児島郡藤戸村 |
10.16 | 切畑村阪鶴鉄道工場 | 橋本喜十郎 (20) | 岡山県下都宇郡中庄村 |
10.12 | 切畑村阪鶴鉄道第6号 | 中津 歳雄 (?) | 静岡県磐田郡山香村 |
11.1 | 切畑村阪鶴鉄道第6号隧道 | 森平シズエ (?) | 広島県安那郡中上村 |
11.4 | 切畑村阪鶴鉄道第6号 | 柴崎金次郎 (?) | 岡山県下道郡水打村 |
明治32.3 | 玉瀬村阪鶴鉄道第8号西口工事 | 三谷きく死産児 | 新潟県蒲原郡五十公野 |