小浜村会、大阪府への所轄替えを決議

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阪鶴鉄道が宝塚駅まで開通して一カ年を経過した明治三十二年一月十日、小浜村会でつぎのような意見がでて、決議された。
 川辺郡の地勢は兵庫県の最東端に位置しているが、土地の経済状況や人情・風俗・習慣などは、ことごとく大阪府に密着している。とくに近時交通運輸上の進展により、阪鶴鉄道は神崎駅において官設鉄道と連絡し、大阪(梅田)駅へ直通できるようになってきた。小浜村の人々も宝塚駅や中山駅を通して、公私両面にわたって大阪府との交流がいっそう強まってきている。また、鉄道を通じて伊丹や尼崎とも結びついて、これまで以上に大阪との経済的関連を盛んにしてゆきたい。これが大阪府に所轄替えを希望する一因である。
 もう一点は大阪府に比し兵庫県の地方税の負担が過重である。しかも諸施設において、常に大阪府に対し兵庫県が数段おくれをとっていることは、郡内を貫通する道路や猪名川・神崎川東西の治水事業を比較してみても歴然としている。この地方負担の相違が、大阪府への所轄替えを希望する第二の理由である。
 これによって小浜村会は大阪府への所轄替えを決議して、川辺郡各町村長と協力して、政府に意見書を提出しようとしたのである。この決議が、どのような結果に終わったのか不明であるが、阪鶴鉄道が宝塚市域の小浜村にとっても、その経済的効果がいかに大きかったかが理解できると同時に、それを契機に経済的発展からの遅れを取りもどそうとする村の政治家の意見を反映している点で、興味ある問題であろう。