事件の発端

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さてこの事件は、明治三十二年九月阪鶴鉄道株式会社が同鉄道敷地として、長尾山奥山の一部五町五畝四歩を買受けたが、その代価を原被告が分配するに当り、原告は特にその分配分を多く得ようとしたことに発端があるようである。しかし被告らはそれを認めず従来の分配法によることを主張したので、原告は分配分の増加を要求するよりもむしろ、長尾山奥山について原告の単独所有権を主張する方がよいとして、「土地所有権回復登記名義書替請求」の訴訟を起こした。
 明治三十三年三月二十九日神戸地方裁判所で口頭弁論が始まったが、その後原告より休訴の申請があった。これは、問題となっている山林が土地台帳面では、明治二十二年に成立した新町村の所有ではなく、各区(むら)の名義になっていたので、この訴訟に関する手続も区会を設けて区会の議決を経ることが必要であったからである。