区会の設立

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明治二十二年市町村制施行以来、内務省の省議等によって発せられた行政上の訓令にしたがい、区会の事務は町村会がおこなっていたが、区の財産に関しては町村会が議決してもそれは正当なものではなかった。原・被告とも、町村制第一一四条および第一一五条により区会を設立し、区会の議決を必要としたのである。
 西谷村では「兵庫県川辺郡西谷村条例」を定めた。その第一条には、「西谷村ノ内切畑村有財産ニ関スル事務処弁ノ為メ切畑村ヲ区域トシテ区会ヲ設ク」とある。この条例制定理由書にはつぎのように述べている。切畑むらは東西五里、南北三里もあり、戸数八五戸、人口四五七人で、その所有する財産も多くは山林であって、西谷村の他の部落とは民情状態が異なり「別ニ区ヲ為シ」ている。その山林維持保存を図ることが目下の急務であるが、その方法につき「従来村ノ意見ト一部ノ意向ト利害相撞着(どうちやく)シ妥当ナル管理方法ヲ設クルニ至ラス」。また旧四八町村共有の奥長尾山につき「之カ一部ノ共有権ニ対シ目下訴訟行為ノ生セルアリ之カ事務ヲ村会ニ委任セハ一部ノ利益ヲ毀損(きそん)スル恐レナシトセサルニヨリ本条例ヲ発シ区会ヲ設置セントス」るのである。
 この条例により明治三十三年七月一八日切畑区会を開いた。「村長差閊(さしつか)ヘニ付助役福本新三郎(切畑区会第一〇番議員でもあった)議長席ニ着ス議長福本ハ村長久保田善五郎氏差閊ヘノ故ヲ以テ自分議長ヲ代理スル旨ヲ述」べ、長尾山訴訟事件追認の件と同費用ノ負担ヲ是認する件とを一挙に可決した。
 被告側は区会設立につき再三協議会を開催し、其筋に請願したが、「其筋ニ於テハ必要少トシテ開設不相成被告弁護士角谷氏申聞ニ依レハ区会設立ノ上区会ノ議決書ヲ提出スルニ非サレハ被告答弁ノ資格供ワラス」というので、大いに困惑した。この件について郡および県庁はじゅうぶんな理解を示さなかったようであった。
 被告側は関係村長会を伊丹の丹和亭に開き種々談合した結果、川辺郡長および角谷格次郎・良元村長・小浜村長・長尾村長・川西村長らが三十四年六月二十二日に県庁に区会設立許可の件を請願した。七月十三日ようやく区会条例が発せられたので、被告側の小浜村では、九月十四日に安倉・小浜・米谷・川面の区会議員選挙をおこない、翌十五日区会を開き、区会の議決を終わった。しかし被告側のむらの数は多く、手続が終わっていないむらがあったので九月二十日の開廷日を延期するよう原告に交渉し、十月十四日開廷となった。ところが原告が開廷延期を申入れたので、三十四年中は開廷されなかった。