切畑むらは長尾山奥山とは別に、長尾村のうち字中山寺境外土地官林反別およそ二三〇町歩外六筆の官林を民有地に引戻しの上、切畑村へ下渡し方を明治三十一年四月二十二日付で農商務大臣へ出願していたが、三十七年四月二十九日になって、官林を民有地に訂正する件は聞届け難しとの決定があった。そこで切畑むらは同年七月この件を、国有森林不当処分取消および国有森林下戻し請求の訴訟として行政裁判所へ提訴した。弁護士平岡萬次郎・大西孝次郎を訴訟代理人とし、当初五〇円の保証金を渡し、訴訟結果が勝訴のときは二〇〇〇円、敗訴のときには保証金のみとする契約を結んだ。
明治四十二年五月三日にいたり、行政裁判所第七部公廷において、小浜村米谷の氏神字宮ノ西売布神社境外官林反別二八町九畝七歩を原告に下戻す、その他の請求は成立しない、訴訟費用は各自弁とするとの宣告を受けたのである。
このように切畑区にとっては意外な結果になったので、弁護士へは契約金二〇〇〇円の半額一〇〇〇円を渡さなければならなくなってしまった。そこで明治四十二年九月三日、西谷村の内切畑区代表者村長西畑芳松は切畑の福本新三郎・池本真六および玉瀬の小東巳之助を連帯債務者として、広根銀行(主任取締役龍見利和)西谷支店より金六〇〇円を同年十二月二十五日限り、利息一カ月六円で借用した。また同年九月十五日村長は小東巳之助より金四〇〇円を同年十二月二十日限り、利息一カ月四円四〇銭で借りた。
しかしこの借入金は期限通りに返済できず、四十三年五月十五日広根銀行西谷支店は、四十三年四月までの元利合計六四八円の計算書を出し、また同日小東巳之助は、四十三年五月までの元利合計四三九円六〇銭を至急返済するよう督促状を切畑区代表者西谷村長宛に出した。