明治四十二年に長尾山共有山林六二三町六反九畝二六歩の分割問題が生じた。神戸地方裁判所への「長尾山所有権分割及競売命令請求」の提訴がそれである。いまこの事件に関する詳細は明らかでないが、法廷において川辺郡長肥田野五郎はつぎのように述べている。
「本件ノ如ク分割訴訟ニ至ラザル様ニ郡内各関係村ニ数度ノ協議ヲナシ何レモ分割ニ同意ヲ表シ各区会ノ議決モ経シ事故円満ニナス以上ハ土地ヲ以テ分割ナシ得ヘキコトト心得例ヘバ耕地整理ヲナス如ク実測ノ上筆数ヲ分チ各区分ニ従ヒ関係者希望スル如ク所在村ノ近傍ヲ引渡シ残ル所ヲ買受人数人共有トスレバ自然分割シ得ベキ心得ナリシカ独リ西谷村ノ内切畑村ニ限リ承諾セズ之カタメ各関係者及村ガ分割ニ同意シ実行ナシ得ラレザルガタメ本訴ヲ提起スルニ至リタルモノ」である。
原告は、裁判所が共有地を競売して代金で分割するよう命ずることを請求したのであるが、被告のうち西谷村の玉瀬と境野は競売には応じ難く、土地を分割することを希望し、切畑は前述した明治三十二年から三十七年の間の主張を再度くりかえした。山本・中筋・荒牧・鴻池・荻野・小浜・米谷は、土地の分割は困難であるから競売して分割することを希望した。裁判の結果はわからないが、共有者の分割歩合と面積に関する協定が成立した模様で、四十三年八月小浜および米谷区会では、共有山分割の歩合を協定し、共有者の持ち分を明確にする件を議決している。同年九月十三日に川辺郡長森重毅はこれを認め、「西谷村ノ内切畑村外九ケ町村及金岡亀太郎外四名林新三郎野原稔外五名共有山林」の共有権歩合に対する土地分割処分の件を、町村制第一二七条により許可した。