明治十五年以降に所有地を増加したものは、自己の農業経営地を拡大するために土地を取得したのではなく、デフレ政策による米価の暴落により中農以下層の借金がかさみ、三町以上層のものが貸した金が戻らないために、抵当流れとして債務者の土地が債権者の手に移ったのであって、その土地は従来の耕作者が小作人として耕作を続けた場合が多かった。したがって小作農は多くなり、地主の貸付地はあちらこちらに分散した零細な耕地であったのである。
表48は良元村およびその近隣の武庫郡東部にある農業を主なる生業とする村の自小作別農家数および比率を示しているが、明治四十二年良元村の小作農家数と比率は、農家総数四二六戸のうち一六二戸三八%であって、四カ村合計の平均値である。
表48 良元村および近隣3ヵ村自小作別農家数
年次 | 村名 | 実数 | 比率 | |||||
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総戸数 | 自作 | 自小作 | 小作 | 自作 | 自小作 | 小作 | ||
明治42年 | 戸 | 戸 | 戸 | 戸 | % | % | % | |
良 元 | 426 | 182 | 82 | 162 | 42.7 | 19.3 | 38.0 | |
甲 東 | 295 | 76 | 91 | 128 | 25.8 | 30.8 | 43.4 | |
武 庫 | 417 | 137 | 122 | 158 | 32.9 | 29.2 | 37.9 | |
瓦 木 | 222 | 59 | 89 | 74 | 26.6 | 40.1 | 33.3 | |
合 計 | 1,360 | 454 | 384 | 522 | 33.4 | 28.2 | 38.4 | |
大正3年 | 良 元 | 437 | 183 | 83 | 171 | 41.9 | 19.0 | 39.1 |
甲 東 | 323 | 78 | 110 | 135 | 24.1 | 34.1 | 41.8 | |
武 庫 | 419 | 122 | 104 | 193 | 29.1 | 24.8 | 46.1 | |
瓦 木 | 218 | 58 | 87 | 73 | 26.6 | 39.9 | 33.5 | |
合 計 | 1,397 | 441 | 384 | 572 | 31.6 | 27.5 | 40.9 | |
大正8年 | 良 元 | 535 | 232 | 106 | 197 | 43.4 | 19.8 | 36.8 |
甲 東 | 326 | 79 | 92 | 155 | 24.2 | 28.2 | 47.6 | |
武 庫 | 462 | 73 | 86 | 303 | 15.8 | 18.6 | 65.6 | |
瓦 木 | 240 | 64 | 93 | 83 | 26.7 | 38.7 | 34.6 | |
合 計 | 1,563 | 448 | 377 | 738 | 28.7 | 24.1 | 47.2 | |
大正2年川辺郡 | 7,736 | 2,317 | 1,791 | 3,628 | 30.0 | 23.1 | 46.9 |
『武庫郡誌』および『川辺郡誌』による
自作農家数の比率は良元村が他村よりはるかに高く四二・七%を示し、自小作農は少なく一九%余である。大正三年(一九一四)および八年への変化をみると、四カ村合計では農家総数が増加する趨勢(すうせい)のなかで、自作農と自小農作の比率は徐々に低下し、小作農の比率が高くなり、四十二年の三八%から大正八年には四七%を超えた。しかし良元村の場合は異なった変化を示し、大正三年までは自作農比は低下、小作農比は僅かに上昇したが、大正八年にかけては自作農比上昇、自小作農比は僅かに上昇、小作農比低下となった。この傾向はその後の農業構造の変化(自小作前進運動)を暗示している。
なお川辺郡の自小作別戸数を前表にかかげたが、武庫郡東部とほぼ同様な傾向と思われる。