目次
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第二章 近代化へのあゆみ―電車とともに―
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第四節 明治後期から大正期の産業
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商業的農業
園芸組合
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当時園芸農家の連絡協調をはかるために、長尾村園芸組合と東野苗木組合とがあった。大正二年には朝鮮・台湾・満州(中国)への移出苗木類の燻蒸(くんじょう)証明が必要となり、また大正七年武庫郡の一部にイセリア介殼虫が発生して、苗木の青酸ガス燻蒸を必要とし、農商務省は植木産地に対する管理取締まりを強化することになった。大正十年四月には、兵庫県の指導により、川辺郡内の園芸農家が川辺郡園芸組合を組織し、苗木類の自主検査をおこなうこととなった。