明治期の農政

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明治期の勧農政策は、明治維新から明治七年(一八七四)一月内務省農務課に勧農寮が設置されるまでの西洋農法輸入期を第一期とし、ついで明治十四年四月農商務省を設置した時期までの、西洋農学を盲信して取入れようとした外人教師依存時代を第二期とする。第三の時期は明治二十二年ころまでで、在来農法を見直して西洋農法と併用する時期である。初期の農事試験場はフェスカの精神、すなわち書斎と実験現場との間のフィード・バックを重視する方法、書斎科学と実験科学とをつないで総合的に研究するフィールドサイエンス、いわば野外科学的方法をめざしたものであった。第四期は明治二十二年以降大正初期にいたる間で、新しい農業技術・農業教育・農業団体・農事試験場などがその機能を発揮し、近代的農政が進められた時期である。
 右の第一期は、さきに述べたように兵庫県令神田孝平が外国植物を輸入して山本の園芸を奨励した時期であり、植物園や模範農場・植物試験場が設けられたのは第二期である。第三期はイギリス農学を批判して大農主義から小農主義に転じ、在来農法とドイツ農法との混同農法を政策として取入れた時期で、農業改良施策に老農を利用した。船津伝次平・奈良専二・中村直三および、中村が明治十五年に六四歳で歿した後は林遠里(えんり)の三大老農が著名である。