集約的稲作法

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遠里は帰国後、稲作の正条植え、短冊苗代を創案し、また各府県の稲作巡回講習にあたり、旧福岡藩武器鋳造家磯野七平が発明した抱持立犂(かかえもちたちすき)による乾田馬耕の普及につとめた。これは耕地整理事業をはじめる契機となった。
 遠里が帰国して後の時期は第四期にあたり、多肥・選種・健苗・乾田馬耕による深耕などの集約的稲作法が普及する。米麦塩水選種法は、明治十五年、福岡農業所教諭であった横井時敬の創案であった。このような農法は明治二十年以降に成立してくる寄生地主が小作人に実行せしめて、小作米を良質米に改良させる方法として採用された。物納小作料は米の産出量をふやし、米の質を粗悪にしたが、これの改良であった。