サーベル農政

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明治三十年には、それまで米の輸出国であったわが国が、米の輸入国となった。その後米の商品化はすすむが、需要に追いつかなかった。このような事情から米の増産が政府の課題となった。しかし寄生地主は米の流通過程にこそ興味を有したが、直接生産に関与することにはしだいに関心を薄くしていった。地主は小作米の改良と増産を官庁の権力的な農事指導と奨励に任せた。
 明治二十九年に害虫駆除予防法、三十二年には耕地整理法、農会法、翌三十三年には産業組合法、重要物産同業組合法が公布された。そして三十四年六月には兵庫県農会が創立されている。この年、きたるべき戦争への対策として農事改良五カ年計画を立て、農業保護主義を国策とした。
 三十六年十月、農商務大臣清浦奎吾が農会に対してつぎのような諭達を発した。すなわち、農産の改良増殖に関する試験研究は、農事試験場および其の他の機関において著々歩を進め、今や実際に適用すべき段階にきた。農会は農事の改良発達を計ることが目的であるから、有益な方法はその普及に尽力すべきである。なかでも左に例示する事項はその実行最も急を要するものであるから、農会は地方の状況に応じ会員を誘導しなければならぬ。「殊ニ第一乃至第五ノ事項ハ市町村農会ニ於テ規定ヲ設ケ会員ヲシテ挙テ之ヲ実行セシムルヲ期スヘシ」として強力な普及、督励を道府県農会に指示した。
 一、米麦種子ノ塩水撰
 二、麦黒穂ノ予防
 三、短冊形共同苗代
 四、通シ苗代ノ廃止
 五、稲苗の正条植
 六、重要作物果樹蚕種等良種ノ繁殖
 七、良種牧草ノ栽培
 八、夏秋蚕用桑園ノ特設
 九、堆肥ノ改良
 一〇、良種農具ノ普及
 一一、牛馬耕ノ実施
 一二、家禽ノ飼養
 一三、耕地整理ノ施行
 一四、産業組合ノ設立
 この諭達にもとづき、各府県では半ば強制的に各項目が実施され、督励する役人や技術官と反対する農民との間に争いが起こり、警官が出動するようなことも起こったのでサーベル農政とよばれる。