温泉場の建設

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温泉場の建設にさきだち、岡田竹四郎と岡田五平次は、温泉場建設予定地付近の山林を伊孑志村の馬殿喜十郎・藤本杢三郎・馬殿磯五郎・田中乙吉連名の売渡人より、明治十九年三月二十四日付で買受けた。他方温泉場は、兵庫・大阪の有志(岡田竹四郎・同五兵衛・小佐治豊三郎らもそのうちの一人であったと思われる)をもって創立した保生会社が、鉱泉湧出所(さきの売買では除外されていた)を借地して経営することになり、明治二十年三月、伊子志村三〇二番字三昧(現在の湯本町九番二九号)の伊予志村共有山林七畝一五歩の永代借地契約を、借地料壱カ年金一二円五〇銭で、保正会社頭取と伊予志村総代との間で結んだ。その契約には「尚貴村ニ限リ営業上或ハソノ類似ノ業ヲ除ク外鉱泉御採酌相成ルトモ決シテ異議申スマシク」との但し書がある。
 同年七月十五日には、右の契約にかかわる明細な図面が両者の間に交換された(宝来橋は記入されていない)。温泉場は崖下であり、多人数を雇入れ、土砂・大石を投入して埋立てて、浴場を建てたという。