現在のいわゆる阪急の前身である箕面有馬電気軌道株式会社(以下「箕有電鉄」という)が設立され、電車が走りだしたのは明治四十三年三月十日であったが、そのころの武庫川右岸の旧温泉をめぐる温泉街は、発展の途上にあった。しかし武庫川左岸は、栄町付近以外は、川沿いに松原が続き、寂しい河原であった。現在もその名残の松を、愛の松原やファミリー・ランド付近にみることができる。宝塚のメイン・ストリートともいうべき、一段と高くなった花のみちは往時の武庫川の堤防であった。電車が開通してから、この付近は急速に変わりだした。それは箕有電鉄の新しい発想による街づくりによったのである。