箕有電鉄あるいは箕面電車とよばれたこの会社の立てた恒久的な方策は、沿線の住宅地経営を進めることにあったが、当面の乗客急増方策としては人為的遊覧設備を設けることとし、電車の終点である箕面と宝塚とが選ばれた。箕面はその広大な規模の森林と幽邃(ゆうすい)な渓谷と滝が、明治三十一年一月二十九日大阪府により天然公園に指定されていたが、この地に同四十三年十一月一日箕面動物園が開設された。当時の大阪には動物園がなかったので好評であり、翌四十四年十月この種のものとしては初めての箕面山林こども博覧会が開催された。箕面動物園は園内の充実とともに来園者が増加したが、箕有電鉄は箕面への遊覧客誘致の目的をいちおう達成したので、箕面の山林渓谷の美しさを残して自然を保護するため、大正五年三月三十一日動物園を閉鎖して、動物を宝塚に移し、宝塚の経営に集中することになった。