大正二年三月二十三日から六〇日間、宝塚では初めての婦人博覧会が開催され、翌三年四月一日には婚礼博覧会が開かれたが、この日はまた宝塚少女歌劇の幕あきの日であり、近代的レクリエーション都市としての宝塚の礎石が置かれた日でもあった。約九カ月間の指導と学習の結果を、少女達はパラダイス室内水泳場の脱衣場を改造した舞台で演じ、楽屋は洗面所、観客は水槽の上に張った床の上の客席に座ぶとんを敷いて観覧した。最初の公演曲目、歌劇「ドンブラコ」、喜歌劇「浮れ達摩(だるま)」、ダンス「胡蝶(こちょう)の舞」は、かわいらしい一四、五歳の少女がオーケストラに合わせて独唱や合唱をしながらおどるという珍しさで、予想外に歓迎された。五月三十日には処女公演の幕がおりた。