少女歌劇の理想

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箕面電鉄の乗客増加策としては、新温泉だけでは魅力が少なく、博覧会がたびたび催され、その余興として観覧無料の少女歌劇であったが、しかしこれを始めるにあたって、少女歌劇そのものの社会的意義を、当時箕有電鉄の専務取締役であった三四歳の小林一三は『宝塚歌劇五十年史』のなかで、「幼稚園や小学校・女学校では、ピアノ・オルガン・ヴァイオリン等を用いて洋楽を教えているが、少年少女が学校を卒業して後は、洋楽に親しむ機会は少なく、三絃を主とする長唄や清元・浄瑠璃(じょうるり)などの和楽に接し、それらを無我夢中に賞美するようになってしまう。これは教育と矛盾しており、折角の長い教養を無価値に終わらせることになる。そこで、洋楽趣味に立脚した、音楽と舞踊との連合した『オペラ』を世に紹介して、社会の趣味的缺陥を補うと同時に、少年少女や青年男女に一種の情味ある趣味的資料を提供しようと考えたのが、そもそも歌劇団組織の主意である」と語っている。そしてこのような意味で少女歌劇は世に受け入れられるであろうと信じ、また箕有電鉄はこれを成功させなければならないという状態にあったのである。