四〇〇〇人収容の大劇場

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大正十二年一月二十二日午前二時ごろ、第一歌劇場(新歌劇場)より出火し、大食堂・図書館・第二歌劇場(パラダイス劇場)・学校新校舎を焼き、浴場だけを残して鎮火した。学校は川西町の旧猪名川水力電気株式会社の事務所跡へ移転し、歌劇場は応急策として仮設することになり、三月十九日に落成した。宝塚中劇場である。七月までに食堂・遊園地その他の設備を完成して中劇場時代となり、久松一声作品の宝塚情緒がこのころには定着した。
 大正十三年七月には、かねて計画されていたところの約四〇〇〇人収容の大劇場が竣工し、大・中・小三劇場および大食堂がそろった。大劇場ができた機会に、従来の月・花両組に加えて雪組が編成された。七月十九日にはお伽(とぎ)歌劇「カチカチ山」の大劇場回り舞台が回転を始め、同二十五日には宝塚ルナパークが開園した。