宝塚少女歌劇の隆盛は、その管絃楽部員の努力に負うところも多いのであるが、部員の技術を向上させるため、来日中のドイツ人音楽家ヨセフ・ラスカを招きシンフォニーの研究を深め、大正十二年八月十九日宝塚音楽研究会第一回演奏を新音楽室で開催、翌十三年二月二日宝塚シンフォニーコンサートを開いた。大正十五年九月十八日には、改称された宝塚交響楽協会の第一回演奏会が小劇場で、十月十六日には第二回が大劇場でおこなわれ、十一月十一日には大阪朝日会館において大阪初演奏会を開き、関西における交響楽紹介に大きな足跡を印することとなった。大正十二年から昭和八年三月までの演奏曲目は、二七〇曲を越え、そのほかラ・ボエームやカルメンなどのオペラならびにバレーが公演された。