大正初期の消防組は、小浜村や良元村でもすべて手押ポンプを使用していたが、大正五年に小浜村の公設消防組が組織されたとき、小浜村消防組第七部となった栄町消防組は、他に先駆けてガソリンポンプ購入を希望した。栄町評議員との話合いがうまく進まず種々摩擦(まさつ)もあったが、消防組二代目組頭古部寅次郎等の骨折りと組員の熱意がとおり、大正八年二月一八馬力のガソリンポンプを購入することができた。
大正十二年一月二十二日午前二時ごろ、劇場から出火し、新温泉は浴場を残して全焼した。この時遠くは箕面・芦屋・大庄・塩瀬などから四六台の消防ポンプが駈けつけたが、栄町消防組のガソリンポンプも大いに活躍した。