ルナパーク

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大正十二年三月二十日、約一〇〇〇人を収容する宝塚中劇場が建ち、続いて八月十五日には三階建のパラダイスおよび同洋食堂が竣工し、翌十三年七月十九日には最新式舞台機構で観客四〇〇〇人を収容しうる大劇場が竣工して幕を開き、翌十四年四月十日には三階建の和食堂ができあがった。また武庫川左岸堤防および堤外地は荒地であったが、この地に三七〇〇坪の屋外遊戯施設と二五六〇坪の動物園および映画館や食堂を包含したルナパークを、資本金二〇万円の宝塚ルナパーク株式会社が建設し、同十三年七月二十五日竣工した。ルナパークの従業員は三、四〇人ほどであった。新温泉や大劇場の方には、当時二〇〇~四〇〇人の従業員がいたが、これらの人々は川面・小浜や生瀬の人が多く、その他遠方より通う人もいた。昭和四年十一月には、ルナパークと新温泉場との間に、花のみちを跨(また)ぐ橋がかかり、両者はつながった。なおこの会社は昭和二十二年一月、株式会社宝塚会館とともに株式会社宝塚ホテルに合併されることになり、同年四月二十九日実現した。

写真143 宝塚ルナパーク 大正期
(福井文子提供)


 武庫川左岸堤防と堤外地が美しくなるのは、大正十三年にルナパークができてからであり、石ころの多い堤外地を整地し、堤防も美化されてしだいに「花のみち」となっていった。阪急宝塚駅から花のみちに至る道路に沿って家が建ち、商店が並んだが、まだみやげ物屋はそのなかに点々とあったにすぎない。大正末期の新温泉の街は、このような姿であったのである。