「良元村誌」によれば、逆瀬川の上流に芝田・辰馬両水車場、下流に馬殿水車場があった。芝田水車場は明治十三年開業、逆瀬川の流水を用いて四一個の臼(うす)を運転していたが、二十年ごろには水量が減じて運転ができなくなり、溜池からの給水で営業を続けた。臼数五〇個の辰馬水車場や四七個の馬殿水車場も同様であった。砂防工事の進行と三十二年の砂防指定地内行為禁止制限規定および三十六年の同取締規則により、山の貯水力が回復し水利も改善され、大正四年には芝田・辰馬・馬殿水車場の臼数はそれぞれ七〇、六七、約九〇に増加し、杵の回転数も一分間五〇から七〇に増加した。