日清・日露戦争後の村財政

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明治二十七年に日清戦争が始まったとき、小浜村では一二名が応召し、二十八年には三人が応召したが、十一月三十日から翌年にかけて一八名が凱旋(がいせん)帰郷した。政府は戦後経営を急速に進めるための財源を求め、明治二十九年営業税と雑種税の主なものを府県の手から国に移すため営業税法を制定し、また三十二年には地租、三十四年には酒造税などの増税を実施した。さらに僅かな交付金と引きかえに委任事務を町村に課した。そのために地方財政は急速に悪化した。そのうえ先述のように洪水と伝染病対策として多額の費用を要したが、小浜村はそれをまかなうことが困難であった。
 明治三十七、八年の日露戦争は巨大な軍費を必要としたので、政府は新税を設け増税をおこなったが、地方の事業はなるだけ減じて地方税の軽減を求めた。小浜村で納税の督促をうけたもの三十七年には一〇二人、三十八年は六一五人、そのうち処分された者三十七年には七八人、三十八年は一一三人に達した。表56によれば小浜村の三十七年の収納金は前年の六四・六%、支出金は六六・四%に減じている。
 

表56 年次別小浜村収納・支出金

年次収納金支出金
    円    円
明治27年13,20812,767
  289,4898,574
  2910,6579,418
  3011,4149,417
  3113,96113,532
  3213,74412,688
  3312,14412,075
  3413,42613,150
  3514,79012,822
  3616,31814,864
  3710,5489,876
  3811,44911,023
  3922,77116,122
  4013,48112,806
  4116,13714,248
  4218,18017,590
  4316,03714,248
  4432,24526,877

〔注〕円以下省略


 
 戦後は、戦時中におさえられていた各種の事業など財政需要が一挙に拡大した。三十九年の支出は前年の四六・三%増となっている。
 明治四十年には戦後恐慌が襲った。軍需生産のため、日本の工業は飛躍的な発展をとげたが、その反動として恐慌となり、不況は慢性化していき、農村は疲弊した。地主対小作人の紛争が増加していった。