四十三年三月中旬西谷村において神戸市による説明会があり、波豆むらの人々は千苅貯水池に必要な面積が一〇三町七反であることを知った。西谷村長西畑芳松は波豆の人々と話合ったが、問題があまりにも大きく早急に村会を開きこの問題を議することは困難な状態であった。村長は三月三十一日付で神戸市長鹿島房次郎に対し西谷村の窮状を述べ、計画の変更を申入れた。
一、祖先伝来の土地を二十数戸のものが失い、一家路頭に迷うものも生じ、また祖先の墳墓も水底に沈むと思えば暗涙を催すなど、憫察(びんさつ)を訴うる者がある。
二、西谷村は山間の一〇部落からなる約五六〇戸の村であり、戸数や耕地が減少すれば、社寺費や部落費の分担力および村税の負担力が減じ、本村の受ける打撃は甚大である。現在「人心恟々(きょうきょう)トシテ村会開設ノ場合ニ至リ兼ネ」ている。
三、神戸市の「水道用水ノミナレハ兎モ角」、灌漑用水を兼ねるとのことであるが、そのためならば山林内で適地をさがしてほしい。千苅貯水池は堰高百尺を五〇尺にし、貯水池になる耕地面積を縮少するよう計画の変更を希望する。
村長は、涙を流して訴える波豆の人々を公共の事業であるという理由で説得し、他方水没面積をなるだけ狭めることによって納得させようとしたものと思われる。