目次
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第二章 近代化へのあゆみ―電車とともに―
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第六節 むらの生活の変化
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千苅水源池と波豆むら
委員長の辞職
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神戸市からの回答は大正二年十二月二十七日の波豆村委員評議員会で報告され、そのあと委員長福井幸次は辞意を表明した。これは堰堤高を一〇〇尺から五〇尺に縮少の懇請が実現しなかったからであろう。議事は紛糾し、同日むらの総集会を開くことになった。総会では委員長の辞職が可決された。波豆むらの神戸市水道拡張対抗委員会はきわめて困難な事態にたちいたったのである。