明けて大正三年一月四日、西谷村委員会に永瀬斌・福本藤三郎が出席した。会議後五日午前三時に有志八名が臨時に会合し善後策を協議し、来る十一日大原野むらと会合のうえ合意陳情書を提出することに決した。一月六日に新井幾之助・永瀬斌・中林千太郎らが集まり陳情書原稿を作成し、十一日には陳情書委員一二名連署のうえ十三日に村長の許へ提出することにした。
この陳情書はつぎのように訴えている。
去る十二月二十五日付神戸市長からの回答では、なお「我等ノ不安疑惑ノ氷解セサルノミナラス益憂惧(ゆうぐ)ニ堪ヘサルモノアリ茲(ここ)ニ再度ノ不敬ヲ顧ミス重ネテ累積ノ窮状ヲ具申ス」る。当初の計画では貯水池が二カ所であったから、そのうち洗谷貯水池の堰堤を高くし、千苅貯水池の堰堤高約一〇〇尺を五〇尺に縮少するように、西谷村前村長が申入れ、これに対し神戸市は、「実施ノ場合ニ於テ可成御希望ニ近ツクヘキ目的ヲ以テ設計可致候」と回答した。しかるに変更された計画では第一期一一〇尺、第二期一二〇尺となっており、「我等一同ノ驚愕(きようがく)惟々唖然(あぜん)タルノ外コレナク憂慮苦悶往日ニ十倍ス実ニ神戸市ハ詐言(さげん)ヲ弄シ徳義ヲ無視スル言語同断ノ極ト謂ハサルヘカラス熟々其及ホス所ヲ見現在ヲ以テ将来ヲ推スニ転々(うたた)寒心ニ堪ヘサル次第」である。今後土地物件や村民の受けた損害についてもじゅうぶんな補償が得られるかどうかわからない。このさいあくまでも我等の希望する堰堤高五〇尺へ縮減の要望を、神戸市に対し強硬に申入れてほしい、という内容であった。