ところで、千苅水源池工事は着々と準備が進み、大正二年十月二十九日には道場工営所が、十二月十五日には千苅工営所が設けられ、三年二月十八日から千苅導水路隧道堀削工事が始まった。四月六日には神戸市の第五次稟請が認可されたので、五月一日神戸市吏員が西谷村に出張し、西谷小学校において波豆および大原野の関係地主に対し、千苅水源池の区域などを実地について説明したが「疑問ナルヿ多ク実ニ誠意ナキヲ以而中止」させ、堰堤の高さを低減するよう要求した。
これに対し神戸市水道拡張部長は、西谷村長宛五月十三日付の書翰で、「千苅堰堤高低減ハ本市水道拡張工事計画ノ根本ニ甚タ大ナル影響ヲ及ホスヘキヲ以テ遺憾(ナガラ)御希望ニハ応シ難キモ用地区域該当ノ堂及波豆神社裏一面高台耕地ハ今ヨリ更ニ実地調査ヲ遂ケ可成用地区域ヲ縮少スルノ方法ヲ構シ」たいと回答した。この書翰(しょかん)には工事施行認可の写しが同封されていた。
いよいよ事態は急速な展開を始めていた。この段階で波豆むらのなすべきことを相談するため、副会長外一名は神戸へ出張し某弁護士に会い教えを乞うた。五月二十八日には総会を開き、会長は右の経過を報告し、副会長は前夜有志会で相談した一致団結の具体的方法を提案した。すなわち「買収額ノ百分ノ一及申合人ノ共有物ニテ得タル所ノ金額全部ヨリ諸入費ヲ空(控)除シ残部ヲ申合人均一ニ分配スルヿ但シ不足ヲ生シタルトキハ支出金ニ準シテ支出セシムル事」。この件に関しては委員若干名を互選し、すべて一任することとして可決した。
水道工事現場では大正三年五月三十一日に千苅貯水池堰堤構築基礎掘削工事に着手し、六月十四日には水源池で地鎮祭が盛大におこなわれた。来賓は神戸駅より特別に仕立てられた臨時列車に乗り、道場駅で下車徒歩で祭場に集まるもの一八七名の多きを数えた。