西谷村・波豆むら間の問題

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西谷村は神戸市へ右の要請をするとともに、他方波豆むらに対しつぎのような要請をした。これは西谷村水道委員会においてのことであったが、「西谷村委員ヨリ波豆村無代地即チ河川溝渠橋道路堤防ヲ現今其ママ六尺トシテ、仮ニ此ニ参尺ノ道アリ其道ヲ田畔ニ付而僅ニ壱尺五寸トスル様ナヿヲセスシテ参尺ナレハ参尺トシテ是ヲ西谷村ヨリ払下ヲ請願シテ神戸市ヘ隣地同様ナル価額ニ売リ其利益ノ幾部分カヲ西谷村ヘ与ヘトノ話」であり、右の件につき波豆の役員会は七月十四日に協議した。西谷村へどの程度与えよというのか、などが問題となり、十五日夜交渉委員二名を選出した。
 しかし七月十九日の総会では改めて交渉委員五名、福井幸次・新井幾之助(当時区長)・永瀬斌(副区長)・中村千太郎・福本宗次郎・乾巳之介を選んだ。八月五日は村長・助役を含む六名の西谷村委員が波豆へ出張して波豆の委員と午前八時から会合した。村長から去る七月二十八日の委員会議事の要点を述べ、また神戸市の用地の調べ方測量の仕方などにつき説明があり、ついで道路・河川・堤防・溝渠等官有地払下に関していかなる方法をとるのがよいかについて協議した。その詳細はわからないが、昼食後の協議も何ら得るところがなく、波豆の委員はさらに熟考することにして終わり、そのあと西谷村委員を実地視察に案内し、「帰ルニ臨ミ一杯ヲ饗セントスルモ辞シテ帰」った。波豆むら委員は引続き協議し新井区長宅で夕食をすました時、福本藤三郎・奈良平重信両人が訪れた。その談合の内容はわからないが、むらの一致団結を強く要望した。