大正三年九月十五日には千苅水源発電所建設工事がはじまった。十月十二日神戸市吏員が西谷小学校へ出張し、水源池用地区域および収用に関して説明をした。波豆むらから一八名が出席した。その後神戸市から西谷村へ右の図面が送られてきたので、水源池用地の詳細が明確になった。「事態甚タ重大ナルニ依リ」十一月三日夜委員会を開き、今後の対策を協議し結局正副委員長幹事および会計の六名に総会議案の起草を託した。その要点は、用地区域の拡縮、寺院・村社・旧蹟および営造物など、墓地・隔離舎等の処分、通路の設備、人夫被傭など、また収用について各個人の意見を徴すること、不動産買受にともなう各種費用の報告などであり、これらを四日夜の委員会で審議した。その結果委員長・副委員長・幹事が、五日から十日までの間にむらの内各区の左記の場所を巡回して、人々の胸襟を開いた意見を聴取することになった。
下村 永瀬政輔宅 西村 新井仁之助宅
湯谷 福永左一郎宅 東村 福井幸次宅
各区とも欠席者なく、また議案もほぼ了承されたが、種々の質問や意見が出た。その後各区の意見を総合するため毎夜会合し、十五日に申合人総会を開いた。経過報告の後、不動産購入各種費用収支明細の承認、資金調達につき福井幸次・同佶松両人不動産を担保として農工銀行より四五〇〇円を借入れ、これを申合人転借する件に関し契約証書差入ならびに調印の件、貯水後申合人中へ漁業権認許を神戸市へ請求する件、福井徳三郎所有の竹林を神戸市へ買収せしめる件などを決議した。
十一月二十三日西谷村長に対し、水道用地の件に関して波豆むらならびに各個人の意見を直接神戸市に伝え談合したいが、この件について西谷村および村長は助力してほしいと要請して、村長の了承を得た。十一月二十六日福井委員長と永瀬委員は、神戸市水道庶務課長らに会い、波豆が将来受ける損害につき神戸市の確答を求めたが、目下詳細図面を作成中であり、できしだい波豆へ出張するからそれまで待つようにとのことであった。また漁業権などにつき聞くために県庁を訪れ、ついで烏原の大川市太郎をたずねて市の買収の仕方を詳しく聞き、その体験から「余リ頑固ニトコトンマテ出ルハ却テ得テナイ市ニシテモ名目サヘアレバ金ハ出スノジヤカラ旁々モ御熟考ノ上ヨキ名目ヲ案出セラレテ十分ノ金ヲ取ラレ円満ニ仲克ク終結セラレンヿヲ望ム」と助言をうけた。この詳細な経験談は大いに参考になった。