さて大正三年もやがて終わろうとする十二月十九日ころに、重要な知らせがあった。有馬郡生野字千苅新田の中畑武雄・仲畑清吉両人に神戸市より十二月十七日付の千苅貯水池用地買収通知が来たという。隣村の土地ならびに地上物件買収価格は波豆むらの買収価格でもあるから、波豆むら委員は二十一日波豆の小池音吉宅で両人に会い、買収価格表をみた。一反当り田は三三〇円、畑二七〇円、宅地四五〇円(一坪一・五円)、山林九二円であったのでより高い価格で買収させるため、今後は波豆むらと「連携シテ一致ノ歩調」をとり、なるべく強硬な態度をとるように両人を説得し、価格については波豆むらと話合ってきめることを約束させた。ところが、神戸市吏員が二十三、二十四の両日生野の両家を訪れ面談の結果、遂に一人が弱腰となり神戸市の示した価格のまま承諾したと福井徳三郎より報告があった。
大正四年一月二十一日波豆むら役員は千苅新田で交渉経過を聴取した。また、生野むらでは用地価格につき「神戸市ノ不法抑圧手段ニ憤慨シ」一昨年末民事訴訟を起こしていたので、帰途生野むら区長を訪れ、その後の経過を尋ねたところ、まだ判決がないとのことであった。