買収に応諾

309 ~ 310 / 620ページ
八月一日委員は市役所へ電話で連絡するため道場工営所へ行ったが日曜日のため通じないので、連絡を頼み帰った。三日には波豆の総集会を開き、村長も加わり、神戸市より出張した中山書記・林事務員両人に対し、買収ならびに移転に応ずるが、一二カ条の提案を承認するよう迫った。両人は即答しかねた。翌四日も午前八時より総集会を開き、両人と交渉した結果、「中山ハ提案十二条ハ順々ニ調査シ決裁ヲ経其経過ヲ通知スルヿ能フ限リ提案通過ニ尽力スルヿヲ誓フ」という回答をしたので、買収に応ずることとし捺印した。なお波豆むら内の問題として、買収に応じないで以後もなお対抗する者は、これに伴う経費を個人で負担することにした。五日にはこの件に関する会計上の精算をおこない、中山より覚書を受取った。
 明治四十三年(一九一〇)以来約五年半の間波豆むらの人々は不安な毎日を送ってきたが、ここにいちおうの結末を迎えたのであった。
 しかしながら、なお事務的なことを処理しなければならず、とりわけ一二カ条の要求についてはたびたび神戸市に出張しなければならなかった。十一月二十三日には、神戸市が示した「河川栗石無償払下及不用地ヲ生シタル場合ハ之レカ払下」げをするという約束を波豆むらは了承した。十二月十五日には山林原野の価格を通知してきた。二十三日、神戸市より中山・林両人が出張し、小作人救済額として一二名分、合計一四三五円二四銭を示した。

写真158 千苅水源池堰堤工事
大正4年11月『神戸市水道拡張誌』より


 この点を含む諸問題につき福井委員長は鋭く交渉した。その結果の要点は、山林原野の価格の値上げはできない、境界は第一出張所へ交渉のうえ明示してほしい、水車の移転料増額については水車各組合より意見書を差出されたい、堰塘(えんとう)の補償については当該関係人より調査せる顛末を意見書として差出されたい、ということであった。翌二十四日午前九時から総集会を開き、山林原野価格については応諾することに決定した。午後は中山・林両人との交渉談判となったが、その結果は、山林原野収用残地の買収はできない、所有地の収用を拒絶する者があるが、これは買収しなければならず坪数に誤りがあれば再調査する、村社馬場先の積上げは要領を得ず、きのこ発生箇所の補償は調査の上要求書を提出する、周囲道路については技師と交渉する、残地は将来治水上保安林となる恐れがあるので、市はその部分につき補償を約束せよとの要求があるが、これは市長その他幹部と交渉されたい、以上のとおりであった。