波豆むら区長の陳情

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このことを知った波豆の、兵庫県知事宛昭和二年一月十八日付の陳情書は、つぎのような内容であった。
 波豆はもと戸数四五戸耕地四五町余のむらで、農業のかたわら林業・薪炭生産をおこない、波豆川および羽束川で僅かながらも魚をとりようやく生計を立てていた。ところが神戸市の水源池ができて耕地や山麓の肥沃(ひよく)な山林、藪、栗・柿などは小額の補償金で買収・伐採され、また残った山へ行くのも以前は道程一丁位であったのが、はなはだしい場合は一里も迂回しなければならなくなり、祖先以来の生業も頓挫し他の土地に出稼ぎしなければならない状態となった。神戸市は前回の収用のとき、所有者に対し高圧的な態度で価格を設定し買収した。また労働者の失業救済・通路の遮断・神社馬場先の整理等について種々歎願したが、名を公共事業と法令の規定・監督官庁云々に藉口(しゃこう)し、部落民困憊(こんぱい)の極より愁訴する哀願を一蹴した。またその後、用地に監視人をおきただ一本の粗朶(そだ)・一株の草に部落民が手を触れるや否や、あるいはまた小児が手作りの竿で貯水池の魚をとりたるさい、何の仮借もなく告訴するなど、その暴状に悩みぬいている。これが鉄道の敷設などならば、地方の発展となり働く仕事もできるが、貯水池では我等の前途は実に悲惨であって、ふたたび浮ぶ瀬はない。弱小にして今奈落の底に沈もうとする波豆部落民の要求を御採納あらん事を願上げる。
 この陳情書の内容は、怒りと悲しみと将来の生活の不安とを交え悲愴でさえあった。