護岸工事

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水源地域の治山治水工事と武庫川改修工事が進むにしたがい、武庫川や逆瀬川・仁川などを改修して水害を除き、廃川敷地を得て住宅地を造成しようとする企画のもとに、私費による河川改修の許可を願うものが多くなった。宝塚市域では大正十五年(一九二六)九月、神戸元町の森本合名会社森本六兵衛と小林の平塚嘉右衛門との両人で、武庫川通字逆瀬三三六番の二のほか一筆山林三反歩の護岸石垣工事、長さ一〇一間総工費七〇七〇円一六銭四厘、出水毎に欠損という理由で工事願を提出し、同年十二月二十五日に認可されている。また両人は同年十月三十一日付で、良元村伊孑志字逆瀬より川面に通じる(現在の宝塚大橋の場所)長さ八四間五分、幅一間の木造板橋を私費で架橋する願いを出した。一般公衆の交通の便を開くため私費で板橋を架設したいというのがその理由であったが、許可にならず実現しなかった。

写真165 武庫川逆瀬川合流点の護岸工事
「武庫川改修工事概要」より