住宅用地の取得

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住宅地経営のためには、まず土地を取得しなければならないが、その一つの方法は公有水面の埋立てであり、他の方法は山林・原野・田畑の取得である。阪急電鉄と平塚の土地取得はかなり早くからおこなわれていた。中洲荘園のある伊孑志字庚申塚と戦後に開発される第二武庫山住宅地は、その多くが明治三十九年から大正二年の間に平塚が地元住民から買取ったところである。
 平塚の明治三十九・四十・四十三年における買収面積は大きく、また西宮・宝塚間の軌道工事が開始された大正元年および二年の買収がそれについで大きい。大正八年は少ないが、同十五年には約六〇〇〇坪が増加した。その他の場所においても買収は進み、昭和五年における株式会社平塚土地経営所の所有地は、五三万九六四五坪(約一七九町八反八畝)に達し、そのうち平塚嘉右衛門分は三二万三四〇四坪(約一〇七町八反)、会社所有地分は一八万八一六四坪(約六二町七反二畝)であった。
 

表64 庚申塚居住者の土地取得年次

年 次戸数
明治398
  4015
  4324
  456
大正24
  85
  98
  156
昭和117
  141
 不明4
88

〔注〕昭和30年7月調査,渡辺久雄「宝塚市における住宅地域の形成」(関西学院社会学第2輯1956年所収)より