宝塚と阪神間の所要時間の短縮

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第一次大戦による好景気によって、阪神間における工業の発展はいちじるしく、阪神工業地帯が形成され、この地帯の人口が増加するにつれて交通量も激増していった。大正九年に神戸線が開通し、十年に西宝線開通、翌十一年にはこれが複線となり、十五年には、今津まで延長されて今津線と改称された。阪急は十一年に神戸線の運転時間を四〇分に短縮した。十二年には宝塚線全線に二輛連結運転を開始し、十三年には神戸線も二輛連結となった。またこのころから神戸線新淀川鉄橋新設・宝塚線旧鉄橋架け替え工事および高架線工事が開始され十五年に完成、梅田・十三間において宝塚・神戸両線を分離して運転することになった。これにより三輛以上の連結が可能となって、貨客輸送力が画期的に増大するとともに、大阪・宝塚間の所要時間が四五分から四二分に、大阪・神戸間は四〇分が三五分に短縮され、乗客数は表67のように急増した。昭和五年四月神戸・大阪間に特別急行電車の運転が開始されてからは、所要時間が三〇分となったが、その中間の乗換駅西宮北口と大阪・神戸間が一五分に短縮されたことは、宝塚市域を両市に近づけることになった。良元村や小浜村・長尾村・西谷村の長尾山南部斜面の住宅地開発がおこなわれたことは前述のとおりである。
 

表67 阪急電車全線1日平均収入および乗客数

年 次1日平均
収  入
1日平均
乗客数
   円    人
大正4年1,521.7813,866
  61,935.9521,846
  83,779.6934,623
  109,593.4959,526
  1213,425.3788,331
  1415,249.15100,369
昭和217,890.94114,375
  418,469.88129,443

『京阪神急行電鉄五十年史』より