宝塚へのバス

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後者の尼宝電鉄は、つぎのような事情でバスとなって実現した。
 尼宝電鉄の発起人代表は武庫郡大社村の前田房之助で、彼は武庫川改修工事によって生ずる廃川敷地の住宅地化と関連して計画を立てていた。大正十二年七月に認可があり十五年から実施にとりかかり、市域における停車場は安倉に設けることになって、敷地買収と損害補償につき電鉄側と安倉総代との間に、昭和二年四月十二日付で契約書を取り交わした。他方尼崎では出屋敷に停車場をおく予定を変更して、阪神電鉄とその尼崎駅で接続し相互乗入をするように計画変更を申請したが、昭和二年十一月尼崎駅を高架にするよう命ぜられた。しかしそれは多額の工事費を要するので、この計画は断念せざるを得なかった。
 尼宝電鉄は、鉄路予定敷地を舗装して自動車専用道路とし、乗合自動車の営業認可申請を提出し、昭和六年認可された。すでに四年四月から営業していた阪神国道自動車株式会社(阪国バス)と合併して尼宝自動車株式会社(尼宝バス)を設立し、七年十二月十五日阪神国道西大島から市域の停留場安倉・小浜を経て宝塚歌劇場前にいたるバスが開通した。この専用道路は関西では初めてのもので、一般自動車からは通行料が徴収された。昭和十七年四月にいたり強制的に県道に編入された。