宝塚・有馬・三田間のバス

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昭和二年三月十八日、阪急電鉄の傍系会社である宝塚有馬自動車株式会社が創立され、宝塚から木(こ)ノ元・名塩・東久保・山口を経て有馬にいたるバス路線を運行することになった。
 この路線は、もと平松竹松が有していた貸切自動車運輸営業権を、藤稿弥甲が譲り受け、改めて宝塚・名塩間の乗合自動車旅客運輸営業の認可を受けて、西口佐一郎との共同経営で大正十三年四月より宝塚・名塩間の運行を始め、翌十四年九月名塩・有馬間の路線を延長したものであり、この経営者を含めて宝塚有馬自動車会社が設立されたのであった。
 路線は譲り受けたもののほか翌三年四月に舟坂経由有馬行の路線が免許されたので、有馬とは二本のバス路線でつながることになったが、名塩線の所要時間は約四五分、一日に七往復、船坂線は約三五分、四往復で、料金は同じく九〇銭、貸切五人乗自動車一台六円であった。この年に東播運輸株式会社との協定がなり、宝塚から山口を経て三田へ乗入れることになった。

図12 宝塚有馬自動車バス路線図 『阪急バス三十年史』より


 また昭和二年八月十八日付株式会社宝塚ホテルに免許されていた、ホテルから宝塚ゴルフ場間の路線は翌三年六月二十日に同社が譲り受け、ゴルフ客の送迎バスとなった。
 宝塚・伊丹間、宝塚南口・生瀬橋間に路線を増し、昭和五年には宝播自動車株式会社との間に契約を結び、宝塚・山口・稲田(美嚢郡吉川町)間を運行(下山口・稲田間は昭和七年から摂丹自動車により運行)し、さらに尼崎バス株式会社の宝塚・逆瀬川・武庫大橋間(武庫川線)を運行した。なおこの年宝塚南口・宝塚聖天間の認可も受けた。その後宝塚有馬自動車株式会社は、昭和十四年一月に阪急電鉄系の阪神合同バス株式会社に合併され、これが名称変更によって昭和二十一年六月阪急バス株式会社となった。