宝塚の舞台で演じられたものはレビューだけではなかった。「絶えざる動き」や「マスコット」などの新しいバレエの試みがあり、「裸山の一夜」のような幻想的な美しい作品があった。また「玉虫祈願」などの気品のある抒情的大作、「天女塚」などの情緒ある傑作、「棒しばり」や「鏡獅子」などの舞踊劇は宝塚名物となった。
これらの成果は、大正七年五月の東京公演で気分を一転した宝塚乙女と、八年一月東京で入団した四人の新人たちおよびそれに続いた宝塚音楽歌劇学校生徒の努力の積み重ねであった。小林一三をはじめ、宝塚に集まった新鋭教師の熱意と芸術的感覚とアイデアとの集積であり、それらが四〇〇〇人の観客を入れる大劇場に結集したのであった。