戦争への行進曲

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しかしながら、華やかな舞台の外には、昭和二年の金融恐慌、昭和四年にはじまる世界恐慌、昭和六年満州事変勃発、昭和八年日本の国際連盟脱退、昭和九年ワシントン軍縮条約廃棄により無制限軍備時代へ突入するというはげしい変化があり、この年五月海軍報道部が介入したレビュー「太平洋行進曲」が上演され、十月には「軍艦旗に栄光あれ」が続いた。翌十年には「明け行く太平洋」、十一年一月には「広瀬中佐」、五月には「少年航空兵」などと舞台にも戦争への行進曲のラッパが鳴るようになってきた。
 昭和十一年十一月には日独間に防共協定が結ばれ、十二年には蘆溝橋事件によって日中戦争が始まった。舞台も、十月「皇国のために」を演ずることとなり、十二月「光は東方より」、翌十三年一月「満州より北支へ」が上演された。この年四月国家総動員法が公布され、五月には「軍国女学生」、十月は「揚子江」十一月「伯林(ベルリン)―羅馬(ローマ)」、十二月「二人の戦友」と、上演されるものも時局の推移に並行した。