大正十四年八月二十九日から九月三日まで、宝塚中劇場で東京の築地小劇場が、関西における初めての公演をしたことを知る人は少ない。「海戦」「牧場の花嫁」「犬」「横っ面をはられる彼」などを上演した。第二回は十五年三月二十六日から二十八日まで、「白鳥の歌」「熱風」「長男の権利」「腰巻」などを演じた。なおこの間、十四年十一月十四日より二十五日まで同志座(佐々木積・山田隆弘・岡田嘉子・夏川静江ら)が公演している。
大正七年九月少女歌劇の顧問として来宝していた坪内士行は、アービング直伝のシェクスピア劇「ハムレット」を上演し自らも舞台に立つ人であったが、大正十五年五月八日中劇場において、宝塚国民座第一回公演をおこない、「女王の敵」「大いに笑ふ淀君」「故郷」などを演じ、七月十日より二十五日までの第二回公演で「オフィリヤ」を上演し、放送した。第三回は九月十一日より二十六日まで、第四回は十月十日より、第五回は十一月五日より公演した。昭和二年は二回、三年も二回、四年は一〇回、うち二回は芸術座水谷八重子との合同公演、五年は九回の公演であった。この国民座のなかから後の国際的演出家青山圭男やテレビ演出家山下良三、日本唯一のシェクスピア役者となった古川利隆が出たのである。なお国民座は昭和五年十一月二十三日が最後の公演の日であった。