昭和恐慌と農村不況

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昭和四年(一九二九)十月二十四日は「暗黒の木曜日」であった。ニューヨークのウォール街における株価の大暴落をきっかけとして勃発した世界大恐慌は、日本をもまきこんで、これまでになかった大きな影響を与えた。それは日本の経済構造の矛盾が同時に現われたからであった。昭和五年六月には株式・綿糸・砂糖などとともに、生糸の相場は同年五月の一一〇〇円から七九五円に暴落し、一般物価は前年同月比一八%の下落となった。十月には生糸価格が、明治二十九年(一八九六)以来の安値となってしまった。また、米は未曽有の豊作で米価は大暴落した。都市においては給料不払いが生じ、失業者は六六万人を数えた。農村の窮乏は全国的に「出稼ぎ」や「娘の身売り」・「欠食児童」を続出させ、種々の農村問題を惹起(じゃっき)した。昭和五年の小作人組合数四二〇八、六年は四四一四と増加し、昭和八年は戦前最高の四八一〇を示し、小作争議件数は昭和五年二四七八、六年三四一九、七年三四一四、八年四〇〇〇、十年にはこれまた戦前最高の六八二四件に達した。