部落の組織

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住民生活にとって最も身近な地域的組織は部落会であったが、どの部落会もほぼ同様な組織と機能とを有していた。以下に、昭和初期の宝塚の変化が最もよくあらわれている小浜村安倉部落の変化を主として述べよう。
 各部落の自治組織は部落会であり、その末端は部落の領域内に定住する多くの家々が居住地区割によって編成された組で、その編成の仕方は大同小異であった。
 小浜村の安倉部落は大道地区が一組、岡所地区が二組、西所地区が三組、池ノ島地区が四組(以上を上安倉とよぶ)、鳥島地区が五組、姥(うば)ケ茶屋地区が六組(以上を下安倉とよぶ)に編成されていた。
 安倉の部落会では、各組の組長は町総代、理事または評議員とよばれ、選挙によって選出された。組の家数が多い場合は組の内部を幾つかの小組に分けた。部落会の会長は総代・区長あるいは部落長とよばれ、安倉では総代の下に副総代一名をおき、いずれも部落内全戸による直接選挙で選出された。総代と副総代とは上安倉と下安倉とから交替に出ることになっており、また会計担当者は全役員による選挙で選ばれた。昭和十年度からは「役員協議ノ結果、会計ハ事務掌ルモ金銭出納ハ村之信用組合ニ依頼スルコトニ決」した。また土木委員がおかれていたが、昭和十年には役員協議の結果評議員に依頼し、加えて前区長とこの安倉出身の小浜村土木委員に依頼している。昭和十二年度は町議員が村の土木委員に代わった。