農業団体

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一、時局匡救(きょうきゅう)対策と部落農会
昭和七年第六二臨時議会には三万二〇〇〇人署名の農民救済請願書が提出された。通貨流通の円滑、農村その他の負債整理、公共事業の徹底実施、農産物その他重要産業統制等に関し必要な法律及び予算案を提出することを内容とする「時局匡救決議案」が可決され、政府は農業恐慌対策に乗り出すことになった。政府予算一億〇八五七万二〇〇〇円のうち農林省関係土木費三七四九万二〇〇〇円および内務省関係土木費四八七五万八〇〇〇円、計八六二五万〇〇〇〇円の救農土木費をもって、不況を切りぬけようとした。また同年九月二十七日には農林省に経済更生部が設置され、三四四万〇〇〇〇円の予算で農山漁村経済更生計画が進められることになり、販売・購買・金融・利用等全般にわたる経済更生計画の実行は、主として産業組合に当らせ、その目的を徹底するため農家はすべて産業組合に加入させることを基本方針とした。
 安倉では昭和八年三月六日に、部落農会設置に関する問題が提起され、同年四月十五日の協議で具体化した。「八年度ヨリ小浜村ニ於テ各部落農会設置ニ関シ、村農会林技手ノ出席ヲ求メ部落農会ノ趣意事業部類並ニ各部署ヲ役員等ニ付種々打合セノ結果、遂ニ決定ヲ見ルニ至ラズ、区長同代理者農会総代並ニ従前ノ出荷組合購買組合諸氏ニ部落農会役員ノ決定ヲ一任スル事ニ決議」した。四月二十七日には部落農会役員が決定し、上安倉と下安倉部落農会の二農会が設立されることになり、それぞれに普通農事部・購買販売部・出荷部・園芸部・病虫部・副業および畜産部を作り担当役員をきめた。六月二十一日には農会役員にとってははじめての問題が生じた。すなわち、「本年ハ小麦販売ニ付、郡農会斡旋ノ共同販売ニ託スルカ又は従前ノ通リ各町ニ於テ共同販売ニ附スカニ付協議セシ処、各部落農会ニ於テ共同販売ニ附ス意見多ク結局部落農会役員間ノ協議ノ上ニテ決定スル事」となった。
 
二、信用組合
さらに十月二十二日には、小浜村信用組合を設立することになり、「組合員募集ノ件ニ付協議セシ所、部落民一般ニ其ノ趣旨、内容等ニ付周知セシムル必要アリ、各町毎ニ集会ヲ催シ各其ノ町役員ヨリ趣旨内容ノ説明ノ上勧誘スルコト」となった。翌九年四月一日には「安倉部落割当六百口数募集方法ニ付協議セシ処、各町ニ割当分配シ募集スルトノ意見アリ、該割当数モ作製セシガ、各町集合セシ際均衡ヲ欠ク慮レアリトノ意見モアリ部落等級表ニ基キ村会議員農会総代諸氏ト割当原稿ヲ作製」することになり、四月五日に割当表がつぎのように作られた。それは西所一九〇、鳥島一五〇、姥ケ茶屋九四、岡所一七四、大道一三三、池ノ島五三、合計七九四口であった。七日にこの割当案を協議し、各町で募集することにきまった。