昭和六年(一九三一)九月十八日、日本関東軍が満洲の中国軍を攻撃し、満洲事変が勃発した。戦争は全満洲に拡大し、翌年には満洲国の建国が宣言された。その五年後には中国との全面戦争に入り、日中戦争に突入することになる。この昭和六年より十年ころまでを非常時とよび、ついで「準戦時体制」ということばが使われたが、日本は世界の動向に影響されながら国内矛盾の解決を戦争に求めた。
日中戦争が始まり十二年八月南京爆撃が行われたのちは、将来の戦争における防空体制の確立の必要が痛感され、軍民連携の防空演習が実施されることになった。それは国民生活が今後戦場と同じ状態に立ちいたることを、国民に予知させるものであった。十年にはすでに防護団が組織され、近畿防空演習が大々的に実施されていた。