防空演習の実施

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こうした防護団組織のもとに、十月十一日から十三日にかけて阪神防空演習が実施された。この演習要領は表84のとおりである。ここではとくに夜間の警戒警報発令下の燈火管制の実施がじゅうぶんにおこなわれているかどうかに重点がおかれ、敵機として浜松飛行学校と飛行第三連隊からじっさいに飛行機をとばし、上空より燈火管制の状況を視察し、それをラジオを通して報告する計画がたてられていた。
 

表84 昭和10年度阪神間防空演習要領

月日時刻演習種類主要行事
10月11日自午後8時予行演習予告ヲ発シタル後,30分間警戒管制ヲ,引続キ約20分間ノ非常管制ヲ実施
至午後9時
10月12日午前8時本演習防空下令
午後2時所要ノ配備終了
午後3時待機姿勢ノ完否点検
午後5時提示スル情況ニ即応セル実際的演習
午後11時
10月13日午前4時演習再開始
午前8時演習終了
午前10時総監所見開示
午前12時各団体長ノ各所管内ニ対スル所見開陳

〔注〕1.本演習ハ天候良否ニ拘ハラズ実施ス
   2.実際ニ当リ若干変更スルコトアリ


 
 演習の結果について、十月十四日兵庫県知事の名で「所見」が公表された。それによると、燈火管制については警戒・非常両管制における燈火の処置が不徹底であるので、この点将来県民のいっそうの訓練が必要であると指摘し、「本所見ニ依リ将来県民ヲ訓練シ、以テ一朝有事ノ際、国土防衛上十分ニ自信アラシメラレンコトヲ切望ス」と結んでいる。
 この十年の演習につづいて、翌十一年にも九月二十日から二十一日にかけて、ふたたび阪神地方および第一〇師団管下全域で、防空演習が実施された。このときも前回の燈火管制とその警報を徹底させるため、兵庫県では「防空演習――燈火管制と其の警報」という掲示用紙を配布し、これを各家庭などで貼るように指示している。
 防空演習に参加した人々に、当時敵機来襲によって爆弾が投下されるという危機意識と緊張感が、どの程度あったかは疑問である。しかしこれ以後、日中戦争から太平洋戦争に突入し戦局急を告げる段階で、阪神間は激しい空襲を受けることになったのである。