警防団への改組

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昭和十二年四月の防空法の公布により、各市町村ごとに防空委員が設けられて、民間防空の基本体制がととのうことになった。しかし防護団は市町村長の指揮のもとに活動するのがたてまえで、消防組や消防署の防火活動との重複混乱はさけられなかった。そこで十四年一月に、従来の消防組・消防署・防護団を解散し、これらを改組統合して警防団令が公布され、四月一日より実施された。市域村々にそれぞれ警防団が結成され、そのもとに分団・班が編成された。団員の年令は満一八歳以上四五歳以下とし、幹部は満六五歳以下とした。分団は防護団と同じく、大字ごとに設けられた。以後防空演習はこの警防団が中心になって活躍した。
 また警防団各分団のもとに警防団後援会も組織された。たとえば良元警防団小林分団後援会会則によると、同後援会は小林における有志をもって組織し、小林公民館に事務所をおいた。防空・水・火、消防その他の警防に関する研究を目的に、警防思想の普及・宣伝、警防用具の購入および補充、警防団員の慰労などを主要事業とし、会員は特別会員と通常会員とからなっていた。会費は一口一カ年金一円で、特別会員は三〇口以上、通常会員は一口以上を徴収した。この意味で、後援会は警防団組織を側面から援助し、強化してゆく組織であったといえよう。