興亜奉公日の制定

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また国民精神総動員運動の一環として、政府は昭和十四年九月一日より、毎月一日を興亜奉公日と改め、この日は全国民がこぞって戦場にある軍人兵士の労苦をしのび、自粛自省の気持を日常生活のうえであらわすことになった。それと同時に大東亜共栄圏の偉業を翼賛し、一億一心の奉公精神を昂揚するため、つぎのような実施綱目をたて、その実践を強行した。(一)平素より早起きをし、宮城遙拝を行なうこと、(二)早朝神社に参拝し、国運の隆盛と皇軍の武運長久を祈願すること、(三)護国の英霊に感謝の黙祷を捧げ、出征将兵や傷病軍人および遺家族の慰問を行なうこと、(四)親和協力のもとに、業務に精励すること、(五)公私とも生活の全般にわたり、時間を尊重し、とくに定時励行すること、(六)禁酒禁煙を実行すること、(七)遊興をしないこと、(八)簡単な生活を実践し、多少にかかわらず、当日はかならず貯蓄すること、(九)冷水摩擦・武道・体操・登山・徒歩などにより、心身の鍛錬につとめること、(一〇)読書・訓話・講演などにより、時局の認識と日本精神の昂揚につとめること、などである。
 これらは、要するに戦時体制のもとで、戦争完遂のため、その決意のほどを生活面で具現してゆくことであった。
 小学校などでも、この興亜奉公日には神社参拝をし、出征将兵の武運長久を祈り、また日の丸弁当で戦場で戦っている将兵の労苦に感謝の意をあらわし、一定額の貯金をした。
 この興亜奉公日の制定により、安倉では十月一日午前七時に安倉住吉神社に役場職員や各種団体・その他の村民一同の参列のもとに、国威宣揚と皇軍武運長久の祈願祭がとりおこなわれた。