昭和十六年に兵庫県の都市計画兵庫地方委員会より、都市計画法が布達された。同法により五月十六日、小浜村役場で土地区画整理実施に関する協議会が開かれた。その土地区画整理実施地区は、つぎの地区であった。
川面 荒神川小浜堺
米谷 県道有馬伊丹線・省線福知山線西南側
安倉 西所・鳥島一円(具体的には尼宝バス専用道路を中心とする区画整理地区)
土地区画整理とは、道路の新設・拡張ということであるが、それのみにとどまらず、宅地の利用を増進し、家屋を衛生的にし、防火的市街をつくり、商工業を活発にすることをも含んでいた。
安倉土地区画整理につき、五月二十日には下安倉事務所に関係地主四一名を召集、二十二日には上安倉事務所に同じく二三名を召集して、実施に関する説明がなされた。
これに対して、五月二十四日都市区画・土地区画内地主代表者(安倉部落会長)名で、「土地区画整理関係地主会意見書」が提出された。それは、現今国民の最大の関心事が食糧増産にある折柄、農民は農林省の要請に従い、一粒一株でも多収穫方策を致す覚悟であるので、ここに耕地を減反するような事業には農民は共鳴することができない、との理由で、土地区画整理は時期尚早であると万場一致で決議し、これに反対する、というものであった。
さらに七月十二日には、小浜村は都市計画および区画整理実施区域内に入っていないので、都市計画法第一三条にもとづき、区画整理を強制的に施工することは不可能である、との地主会の反対意見書を再度提出したのである。
しかしこのような地主の反対にもかかわらず、十六年六月十三日の村会で、「都市計画法適用内申の件」が原案通り可決された。